はじめに
夕食の後、8歳の息子と図鑑を眺めていたら「ヒザラガイ」のページで手が止まりました。磯で見かける、貝殻が8枚に分かれた地味な生き物です。「これ、深海にもいるの?」と聞かれて答えに詰まっていたところ、ちょうど最近、深海のヒザラガイの新種が発見され、しかも名前をインターネットの投票で決めたというニュースを見つけました。8,000件以上のアイデアが集まったという投票の話は、子どもたちにも楽しく話せそうだったので、詳しく調べてみることにしました。
どんな生き物?
見つかったのは、学名「Ferreiraella populi(フェレイラエラ・ポプリ)」という新種の生き物です。分類上は軟体動物の仲間で、貝の一種である「多板綱(ヒザラガイの仲間)」に属します。中でも「レピドプレウラ目」というグループの「Ferreiraellidae(フェレイラエラ科)」に置かれ、記載論文によればこの科にはこの1種しか含まれていません。
ヒザラガイといえば、磯の岩にぴったり貼りついている、背中に8枚の殻板が並んだ生き物を思い浮かべる方も多いと思います。このフェレイラエラ・ポプリも同じ多板類らしく体を丸めて身を守れる8枚の殻板を持っていますが、住んでいる場所はまったく違います。磯ではなく、深海の底に沈んだ木の上だけで暮らす、非常に珍しいグループなのです。
大きさは、記載論文に載っている基準標本(ホロタイプ)で 17mm × 9.5mm の楕円形。500円玉の直径が26.5mmなので、それよりひとまわり小さいくらいと考えると想像しやすいと思います。深海の新種と聞くと巨大なダイオウイカのようなものを思い浮かべてしまいますが、実物は指先に乗るサイズです。
普段、家族で潮干狩りや磯遊びに行くと、岩にへばりついたヒザラガイを見つけて「うわ、貝?虫?」と子どもたちが不思議そうにする場面によく出会います。あの見慣れた生き物のなかまが、はるか深海の、しかも「沈んだ木の上だけ」というとても限られた場所で暮らしていると知ると、身近な生き物とのつながりを感じられて親としても新鮮でした。
発見のストーリー
採集されたのは2024年5月、場所は日本の南に延びる「伊豆・小笠原海溝」の水深5,506m。しかも採集に使われたのは、JAMSTEC(海洋研究開発機構)の有人潜水調査船「しんかい6500」でした。日本の調査船が、日本の海で見つけた生き物なのです。採集したのはJAMSTECの研究者Chong Chen氏。深海に沈んだ木材(沈木)を調査する過程で出会った生き物でした。
新種であることが確認されたあと、2026年2月6日、学術誌「Biodiversity Data Journal」に正式な記載論文が発表されました。研究にはドイツのゼンケンベルク研究所などが参加する国際組織「Senckenberg Ocean Species Alliance(SOSA)」が関わっています。
ここまでは新種発見のニュースとしてはよくある流れですが、このヒザラガイが話題になった一番の理由は、実は名前の決め方にありました。
生態のふしぎ
このヒザラガイの一番の特徴は、なんといっても「沈んだ木の上だけに住む」という暮らし方です。深海に丸太などの木材が沈むと、その表面には菌類や微生物の膜(バイオフィルム)ができます。
食事に使うのが、**鉄でコーティングされた硬い歯舌(しぜつ)**です。記載論文によると、歯が53列も並んだヤスリのような構造をしています。木に住むヒザラガイの仲間は、木そのものをかじるのではなく、木の表面に育つ膜のほうを食べる「二次消費者」だと考えられています。ただし論文でも、この種について実際に食性を検証したわけではないと断ってあるので、そこは今後の研究待ちです。
さらに面白いのが、しっぽ側の殻板にカンザシゴカイの仲間(ゴカイの一種)が住み着いていることが多いという点です。深海の沈木の上で、小さな生き物同士が身を寄せ合っているわけです。木が沈んでからいずれ分解され尽くしてしまうまでの限られた期間だけ成立する、はかない住みかともいえます。
深海に沈んだ木のまわりに独自の生き物のコミュニティができる現象は「沈木生物群集(ちんぼくせいぶつぐんしゅう)」と呼ばれ、木材を頼りに暮らす生き物が世界中の海底で見つかっています。似たような仕組みは、海に沈んだクジラの死骸に群がる「鯨骨生物群集」でも知られており、どちらも「限られた栄養源をめぐって特殊化した生き物が集まる」という点で共通しています。深海というと真っ暗で何もない世界を想像しがちですが、木が一本沈むだけでそこに小さな生態系が生まれるというのは、子どもに話すと「木が沈んだだけでそんなことになるの?」と驚かれるポイントでした。
豆知識・どこで見られる?
このヒザラガイが世界的に話題になったのは、名前の決め方がユニークだったからです。もともとは、人気のYouTubeチャンネル「True Facts」で紹介されたことがきっかけで注目を集め、SOSAと出版社ペンソフト、そして番組のZe Frank氏が組んで「みんなで名前を考えよう」という企画が始まりました。すると1週間ほどで8,000件を超える候補が寄せられ、最終的に選ばれたのが「populi(ポプリ)」という言葉。ラテン語で「人々の」という意味で、なんと11人もの応募者が偶然同じ単語を思いついていたそうです。研究者が一方的に名前を決めるのではなく、世界中の人が参加して生き物の名前が決まる、という珍しいプロセスは、子どもに「生き物の名前ってどうやって決まるの?」を説明するきっかけにぴったりです。
残念ながら、水深5,500mという深海で見つかったばかりの生き物なので、水族館や博物館で実物を見られる場所は2026年7月時点で見当たりません。ただ、磯で見られる普通のヒザラガイであれば、国内の多くの水族館のタッチプールや、干潮時の岩場で観察できます。「深海には仲間がこんなふうに暮らしているんだよ」と、身近なヒザラガイを見ながら話してあげるのも良さそうです。
もうひとつ、子どもと話しやすい豆知識があります。2026年5月、国際プロジェクト「Ocean Census」が、1年間で1,121種もの新種の海洋生物を発見したと発表しました。13回の探検航海によるもので、年間の発見数としては54%増という記録です。深海のゴーストシャーク(ギンザメの仲間。サメやエイとは約4億年前に分かれた古いグループ)や、「ガラスの城」のような住みかに暮らすゴカイなど、フェレイラエラ・ポプリ以外にも変わった生き物が次々に見つかっています。「海にはまだ名前のついていない生き物がたくさんいる」という事実は、図鑑好きの子どもにとってはワクワクする話題になりそうです。
まとめ
- 新種の深海生物「フェレイラエラ・ポプリ」は2024年5月、伊豆・小笠原海溝の水深5,506mで「しんかい6500」により採集された
- 分類はヒザラガイの仲間(多板綱)で、沈んだ木の上だけに住む珍しいグループ。大きさは17mm×9.5mmと小さい
- 鉄でコーティングされた歯舌(53列)を持ち、しっぽ側にはカンザシゴカイの仲間が住み着いていることが多い
- 名前は8,000件を超える一般公募から選ばれ、「populi(人々の)」という意味が込められている
- 記載論文は2026年2月6日、学術誌「Biodiversity Data Journal」に掲載された
図鑑に載っている生き物の名前は、誰かが静かに決めたものだとばかり思っていましたが、世界中の人の投票で決まった名前もあると知って、子どもたちも「自分だったらどんな名前をつけるかな」と話が広がりました。深海にはまだまだ知らない生き物がたくさんいそうです。今度は家族で水族館の深海コーナーを覗きに行ってみようと思います。